2019年 02月 12日
野の草花「キイチゴ」 |
野の草花「キイチゴ」または「クサイチゴ」
リアリズムとスーパーリアリズムの境

自分にとっての写実の限界点まで、写実に徹してみた作品。これ以上細部を描くとスーパーリアリズムになってしまう。
人間の視覚は一点を見ているときには、その周辺になるほど焦点がぼける。
視点を移動することで脳が情報を総合して、形、色彩、材質感を持った物として像を結ぶ。
写実で絵を描く、そして描かれたものが実物のように見えるというのは、視点の移動と脳の総合の働きを、一々、図像に定着していくという画家の作業のたまもの。
しかも描かれた構図の中で、主となる物に描きこみの重点を置き、周辺を抑えることで、視覚本来の自然さを失わないようにするのが、写実画家の力量。
写真芸術に対抗して、描かれたものの隅から隅まで一定の焦点をあてて描くと、スーパーリアリズムになる。
絵画の写実は写真にはかなわないという、批判に対して出てきた美術史上の絵画様式。写真以上に写実なんていわれたりする。いまでもスーパーリアリズムの画家はいる。
焦点の当たった周辺がぼけるという、視覚の自然な働きを拒否しているので、作られたものという、冷たさ、不自然さがぬぐえない。生命感が消えてしまうのだ。
私はリアリズムと視覚的な印象の競り合うあたりを探りながら、野の草花を描いていきたいと思う。
キイチゴは絵本のための下絵として、スケッチブック3冊分描きためているが、今は公表できない。
3月になって少し日中暖かくなったら草花を描き、ティッターに挙げていきたいと思っています。 このブログにも載せます。
今後ブログは基本、特記事項とか、我が家の特別の記録の時に書きます。チャオ
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by hikari_1954h
| 2019-02-12 23:34
| 野の草花ノート