2016年 08月 02日
ある人形劇 |
生きている牛や猪、豚の尻の肉をスパット切って食し、傷口に泥を塗って再生させ、左右交互に切って食べるという風習は、中国、台湾、アメリカ大陸ネイティブと報告があるのですね。
屠殺しない畜産と泥中の光合成細菌の働きが古くから経験的に知られていたのでしょう。
しかし40日ごとに尻の肉を切り取られる牛と豚はあまりにも可愛そう。無間地獄を生かされているようなもの。いっそスッパリと殺ってあげたほうがいいと現代人の感覚からは思う。
たぶん小学校の5年生の時、学校の講堂で人形劇を鑑賞しました。今思えば昭和30年代の中ごろに、とんでもない文明批判の人形劇がおそらく日本全国の小学校で上演されていたのに驚きます。
主人公は男の子と女の子。人々をそそのかして豚にする怪人がいて、豚になった人々は自分の尻の肉を切って食べ、泥を塗っておくと再生するので交互に切って食べ、働かなくてもよいこの世の天国が出現するというもの。
皆が怪人と契約して進んで豚になり、ついに自分の父母兄弟が豚になるに及んで主人公が友達と力を合わせ怪人の正体を暴き人々を人間に戻すというような内容でした。
これが決して働かざるもの食うべからず、という教訓話ではなく、「テレビを見ろ」「考えるな」と人間屠殺場に送り込む映画(原作、ど忘れ)の世界認識と同質の文明批評。これをもう少し高度にすると怪人はエンデの「時間泥棒」になる。
宮崎駿「千と千尋」でトンネルを越えて入り込んだ奇妙な町で千尋の父母が豚になり餌をあさっている場面があります。
父母を助けるため千尋が湯婆のもとで働くという、あれも文明批評。
バブル期のテーマパークが不思議の町で、廃棄物まみれの都市から追い出された神々が行き場がなくて、湯婆と不公平な契約を結んで働かされている世界とする解釈がありますが、こんなふうに説明されると味も素っ気もないというか、興醒め。
もし宮崎駿がバブル期の社会を念頭に描いたのなら、「千尋は成長しない女の子」という監督の言葉はトールキン以来、成長物語としてのモダン・ファンタジーへの唯一のアンチテーゼということになる。
写真家の大野純一が「湯屋」は「女郎屋敷」と書いていたけれど、ここからテーマを探るほうがずっと面白そう。
20歳代の中ごろ物語を書き始めた時、人間が豚になるという話を書きました。子供の時の人形劇の体験が強烈に残っていたと思います。
世界的な研究者を死に追いやってでも利権を追う、現代の再生医療の悪魔性はすでに昭和30年代の人形劇に暗示されていたともいえます。
乳酸菌、光合成細菌による汚泥処理、農業、畜産、漁業、医療が命の革命であればあるだけ、詐欺師や悪魔のような連中が群がるでしょう。
そういうことを考えされられた報知技のカキコでした。
資料・・・・・
855:しょうりん:
2016/07/27 (Wed) 23:05:51
host:106.252.10.200先生のお話、不思議な事に私には
虎 さん(平野虎丸 さん)のお話と深~い所でピッタリ重なって聞こえて来ます。
昭和40前後の東京は公害まっさりでした、多摩川辺りに行っても川は泡だらけヘドロだらけ、モロコは片目の無いヤツ、背骨の曲がったヤツがうじゃうじゃ、
秋川渓谷に行っても周りは杉の木ばかり、川虫もあんまり取れない、
金沢文庫のハゼも奇形ばかり、でもなぜか鎌倉の磯はウニだらけ!?
夏休みに祖母の実家の岡山(井倉)に行くのが死ぬほど待ち遠しかったなぁ~
タガメなんて図鑑でしか見れなかったのですが、ばあちゃんの田舎に行くと
畑や溜池にうじゃうじゃいるんですものね、
香取線香焚いててもホタルが蚊帳に入ってくるし、
母屋の脇の子沢には沢ガニはいるは、オオサンショウウオはいるは、
風呂は薪で焚く五右衛門風呂だしで、もぉ私にとっては天国でした。
うろ覚えなんですが、釣りから帰って来た私の目に飛び込んで来たのは、
縁側でぎゃぁ~ぎゃぁ~泣きわめく妹を抑えつけて
ばあちゃんが泥を妹の腕に塗りたくってたんですよーーー
妹は東京に居る時から腕に湿疹みたいのが出来てて山歩いたりしたら
それが酷くなってたんですね、でも泥ってww
こうして、乾いたらもう一回やってやっから、そしたら直ぐなおっから我慢しろ
なんて言ってわっはっはぁ~って笑ってた、横で大泣きの妹^^;
そして、次の日かその次の日にはホントに治まっちゃった・・・
ってな遠い記憶がふと蘇って来ました。
あれって畑の泥だったんかな?
光合成細菌は畑にいる!! なんだかすごく嬉しくなりました^^
ありがとございます。
897:皮肉屋 :
2016/07/30 (Sat) 07:43:53
host:*.spmode.ne.jpが記憶の底から前触れなしに蘇ったので、あえて書き込みたいと思います。
その学研記事の主題は、19世紀の北米大陸だったか南米大陸だったかの欧州系探検家を扱ったもの
でしたが、その中で、現地のインディアンだかインディオ(今風に言えばネイティブアメリカン)
の部族が牛から肉を切り取った後で傷口に同じ牛の川を張り付けることで、一頭の牛を殺すことな
く何度でも肉を切り取るということをしていた、という記述内容でした。
今にして思えば、これはある意味で「持続可能な畜産」ではなかったか、との感を抱きます。乳酸
菌による細胞活性化のことをこの飯山老師のサイトで読み続けたからこそ、錆び付いた私の脳細胞
の古い記憶が蘇ったのかもしれません。
中国も畜産大国であることを鑑みれば、「乳酸菌利用による屠殺なき食肉生産」というアイディア
もあってもよいのではないか、と畜産については素人としては僭越ながら妄想した次第です。
899:電柱でござる :
2016/07/30 (Sat) 14:04:50
host:*.dion.ne.jp南方熊楠 十二支考猪に関する民俗と伝説
http://www.aozora.gr.jp/cards/000093/files/2542_35938.html より
『中陵漫録』五に、唐人猪の尻の肉を切って食し、また本のごとく肉生ずれどもその肉硬くなりて宜しからずとある。
いずれも無残な仕方だが、まだ酷いのはアビシニア人が牛を生きながら食う法で、ブルースはかの国の屠者を暗殺者と呼んだ。
モーセの制法を守る言い訳に、五、六滴を地に落した後屠者二人または三人は上牛の脊の上の上脊髓の両傍の皮を深く切り、肉と皮の間に指を入れて肋骨へ掛けて尻まで剥ぐ。
さて骨に掛けず流血も少なく尻の肉を四角な片に刻み去る。牛大いに鳴く時客人一同座に就く。牛は戸辺にあって流血少なし。屠者骨より肉を切り離すは腿や大動脈のある処を避く。
ついに腿の肉を切り取るに及び牛夥しく血を出して死す。死んだ後の肉は硬くて旨からずとするとあって、つまりアビシニア人は生きた牛から切り取ってその肉を賞翫するのだ(一八五三年版、パーキンスの『アビシニア住記』一巻三七二頁以下)。
安部譲二official web 二十匹の豚の四十の尻2003/11/30
http://www.abegeorge.net/
台湾はいい所で、若い男は豚を二十匹持つと結婚する資格が出来るのだと言ったのは、何をしているのか分からぬ、正直言ってカタギだとは思えぬ初老のハゲ。
新婚の夫婦は初夜が明けると、鋭利な包丁で豚の丸い尻をスパリと切って二人で喰べる。
切り口に泥を掌で塗っておくのが急所、肝腎なところだと、怪しいハゲは嬉しそうに言う。
豚の尻は左右ふたつあるから、四十一日目に最初に切った尻に戻るのだが、塗った泥のお陰で膿みもせず見事に盛り上がっている。
日本人もアメリカ人も豚を殺して喰べてしまうから、この台湾の偉大な永久運動を知らないとハゲが言ったのを聞いて
“その台湾の嫁さんは、サラダも刺身も喰べさせてもらえねえのか”
と、言ったのは畳屋の隠居。
“馬鹿ぁ言うな。切り取った尻の肉を市場に持っていけば、魚でもチンゲン菜でも何でも換えてくれる”
なるほどと感心した畳屋の隠居に代わって、元新聞記者の爺様が、
“けど、台湾は暖かいところだけど、着るもんはどうやって買うのかな”
なんていぶかしそうな声で言うと、良く訊いてくれたとニコリとした初老のハゲ、
“二十匹豚がいると、だいたい半分はメスだ。放っておいても仔豚が産まれる。それを抱えて市場に行けば、ブラジャーでもベビードールでも何でも自由自在だ”
ベビードールとは懐かしいと、常連の爺様たちは、遠くに焦点の合った目になったのだ
by hikari_1954h
| 2016-08-02 07:14
| 詩・文学夜話(一部公開)