2016年 03月 05日
アニミズムからアニミズムへ(弁証法から円環の法へ) |
美術史で私のなかで最も抜け落ちていたのは、文様とその表象するものへの学びであった。
装飾事典と関係の本は何冊か持っていた。大学の卒業研究ではパターン構成と、地と図を逆転させて作品全体を統一する方法を探った。ただし当時の美術学生に大きな刺激を与えていた、錯視を用いたオプティカル・アートに意識は向いていたので、文様の歴史、あるいは意識下(形而下)の表象の意味の探求にはまったく関心はなかった。その後、ケルト美術に接し、イスラムの圧倒的な文様世界に触れた時も事情は変わらなかった。
アニミズムから見る美術史を書き始めて、未知の領域での下調べと思索を重ね、牛歩のように書き留めてきた。
キュクラデス、ミノア(クレタ)、ミュケナイ文化と辿るうちに、文様そのものと向き合う必要性に迫られてきた。
体系的な文様事典のサイトもあるが、検索してみると優れたサイトが2つあった。ジュエリー製作者・和久譲治氏と陶芸家・橋本薫氏が、それぞれの職人気質からの視座で、装飾文化への知識と思索、また一方は歌人でもあり美しい言語感覚で文様について書いておられる。
文様について知ろうとすれば、世界中の原始、古代の文化を当たってみなくてはならない。たくさんの図像に接していて、それらがアニミズムと密接な関係があることは解る。私はこれまで多くの遺跡や歴史資料館、博物館を訪ねているので、文様にも肌で接してきてはいた。
文様という場ではピアジェの発達心理学が示す、子どもの有するアニミズムの概念だけでは役に立たない。文化人類学に踏み込まざるをいなくなった。
文化人類学は学生の頃の知識しかなかった。しかしちょっと調べれば、抜けていた時間にこの学問が、どのように展開したのか直ちに了解できた。アニミズムから見る美術史は文化人類学が辿った歩みに通底する。それは究極この世界の成り立ちを問うことであり、神との対話なのだ。自然に身を置き自然を通しての会話だ。
文化人類学として学んでいなくても、それぞれの学問は必ずどこかでリンクしている。時代の枠というものがあり、思想として各々の探求のなかに脈打つ。
先達の積み上げてきた学究の上に間借りしつつ、各人与えられた課題と向き合っているようなものだ。
人は知識であったり、創造物であったり、商品を売って暮らしている。特許は許される。けれど人類には無用な業績の上に胡坐をかいている人物がなんと多いことだろう。
「アニミズム」という言葉で未開民族の宗教観を捉えた人類学者、タイラーの著書「原始文化」は1871年の出版。すでに随分昔のことだ。タイラーはアニミズムを「霊的存在への信仰」として、信仰というものの最少の単位と定義し、諸民族の神観念は人格を投影したものとした(擬人化)。
アニミズムは多神教を経て一神教に向かう宗教の、原始的な形態との位置づけで、キリスト教世界の価値観が根底にある。累進的、進化論的という時代の枠が嵌っているわけだ。勿論タイラーの業績の廃れない点は、一神教のなかにもアニミズムは存在するとした慧眼にある。
進化論的な部分については批判がある。未開民族の間では人格を欠いた力あるいは生命のような観念もあるとして、アニミズム以前の状態を、マレットはプレアニミズムと呼んだ。アニマティズムともいう。また原始的な信仰にも一神教は存在するという研究がある。
神を否定し、宗教を否定する立場の場合でも、ニーチェの超人であったり、マルクスの独占資本主義から共産主義へというのは、累進的、進化論的だ。そうするとこうした論理の背後にある弁証法そのものが問われるべきではないのか。
現実の現象面で弁証法が適用できる領域は多いいかもしれない。そして論理そのものは単純で、理想を指し示すのに適しているので、科学的な装いで新しい宗教ともなる。
波動の難解な数学的計算をしつつ、その人の内面では非常に素朴な信仰として、新しい段階の人類のステージが信仰されていたりする。個人の信仰に留まれば有益な働きをする場合もあろう。
ただし思想であれ信仰であれ高度に組織化されると、いともたやすく偏狭なナショナリズムが同居する。そこには「神に見られていることを見ている」と言う意識の欠如があり、悪霊の心地よい棲みかとなる。
ピアジェの宗教観がどんなものであったのか私は知らない。発達心理学は乳幼児の未熟な段階から累進的に積み上げて、感覚、知覚、認知、認識へと辿っていくものであるから、基本、進化論を背負っているのかもしれない。
タイラーのアニミズムに対する批判のように、ピアジェの発達のシェーマに対しても批判があり、乳児の認知のありかたに対しても、新しい知見が示されている。
門外漢の人はピアジェは古いなどと簡単に口にする。先人の残した業績は食い破らなくてはならない。しかしその世界を一人で切り開いてきた人の大きさに匹敵する人はまれだ。
ゆっくりとした成長の保障として、幼・少年時代を合わせて幼児期としたルソーの思想のほうが、ピアジェよりも思想は大きいと、私には思えるけれど。
文化人類学の分野でアニミズムについては、もしかしたら日本の研究者は最も深いところを探り当てているのかもしれない。一神教のなかにもアニミズムがあるとしても、日本の、正確にいえば縄文時代に根ざす信仰のあり方、世界観がアニミズムそのものだからだ。
欧米で繰りかえしケルトがリバイバルするのは、アニミズムへの回帰と言っていい。アニミズムとシャーマニズムはセットで出てくる。ニューエイジの潮流とはアニミズムへの回帰のことだ。
西欧近代の科学と一神教がもたらしたもの、その限界を超えようとしる営みが、霊的なシャーマンの働きや、文字を持たない口承の文化、東洋の思想や信仰への探求として現われる。
そういう意味では日本という島国は、霊の働きについてのタイムカプセルを宿している。近世以来踏みにじってきたアイヌ文化の消滅と共に、国土に満ちていた霊性は消滅しかけているけれど、まだ沖縄の中に琉球は生きており、神に召されたものとしてのシャーマン、「ウタキ」が生きている。
縄文の文化は国家神道の及ばないところで、神域として依代(よりしろ)として信仰の土台を形作っている。
最近、20世紀の遺物、反共と共に国家神道が死臭を振りまいている。各人の魂の内で暖められる時にのみ卵(タイムカプセル)は孵化する。
沖縄県民の辺野古への基地移転に対する闘いによってのみ、消滅しかけている「美しい日本」はなんとか支えられている。
その国に、蛍火のように輝く神や、蠅のように騒がしく良くない神がいる。また草木もみなよく物をいう。
「葦原(あしはら)の中つ国は、磐根(いわね)、木株(このもと)、草葉もなおよくものを云う。夜はほぼのごとく音ない、昼は五月蠅(さばえ)なす湧きあがる
日本書紀より
大国主御神が支配する中つ国を、神津国が支配するため神を使わす時に語られた言葉。国譲りの神話として知られる箇所。
蛍火のように輝く、そんな美しい神様に会ってみたい。蝿のように騒がしい神様とお喋りがしてみたい。みなよく物をいう草木と伴に暮らしたい。アニミズムの最も美しい世界が奪われた物語であったのだ。
カトリックのアニミズムだって棄てたものじゃない。古代地中海世界の信仰はケルトの信仰を介して、中世アッシジのフランチェスコに手渡された。
「太陽の歌」アッシジの聖フランシスコ
神よ、造られたすべてのものによって、わたしはあなたを賛美します。
わたしたちの兄弟、太陽によってあなたを賛美します。
太陽は光りをもってわたしたちを照らし、その輝きはあなたの姿を現します。
わたしたちの姉妹、月と星によってあなたを賛美します。
月と星はあなたのけだかさを受けています。
わたしたちの兄弟、風によってあなたを賛美します。
風はいのちのあるものを支えます。
わたしたちの姉妹、水によってあなたを賛美します。
水はわたしたちを清め、力づけます。
わたしたちの兄弟、火によってあなたを賛美します。
火はわたしたちを暖め、よろこばせます。
わたしたちの姉妹、母なる大地によって賛美します。
大地は草や木を育て、みのらせます。
神よ、あなたの愛のためにゆるし合い、
病と苦しみを耐え忍ぶ者によって、わたしはあなたを賛美します。
終わりまで安らかに耐え抜く者は、あなたから永遠の冠を受けます。
わたしたちの姉妹、体の死によって、あなたを賛美します。
この世に生を受けたものは、この姉妹から逃れることはできません。
大罪のうちに死ぬ人は不幸な者です。
神よ、あなたの尊いみ旨を果たして死ぬ人は幸いな者です。
第二の死は、かれを損なうことはありません。
神よ、造られたすべてのものによって、わたしは深くへりくだってあなたを賛美し、
感謝します。
中津国はイタリア、アッシジにも在ったのだ。アーメン
日本のプロテスタント教会で聖書の次に親しまれている本は、もしかしたら星野富弘さんの花の詩画集かもしれない。体育教師をなさっていた時、鉄棒の実演で首の骨を折られて、口にくわえた筆で草花を描かれ詩を書かれる。研ぎ澄まされた感性。詩だけでも八木重吉のように歴史に残る作品です。
「どくだみ」
おまえを大切に
摘んでいくひとがいた
臭いといわれ
きらわれ者のおまえだったけれど
道の隅で
歩く人の足許を見上げ
ひっそりと生きていた
いつかおまえを必要とする人が
現れるのを待っていたかのように
おまえの花
白い十字架に似ていた
星野富弘
子どもの心性にあるアニミズムが大人の心のうちで、どこにどのように働くのかを一年間、考え続け書いてきた。今はこう言いたい。
「アニミズムからアニミズムへ」
私たちは幼い時アニミズムによって世界と出会い、長ずるに及んでアニミズムの豊かな台地へと帰るのだ。谷内こうたさんの絵本は静かにそのことを語っている。
どうも日本の宗教は、発達しすぎた。くどい。山・川・草・木・がいつも言っていることを、一つ一つ人間語に翻訳しなっくったっていいのだ。風景そのものが、そのなかに住む人間にとって宗教なのだ。
アニミズムは初めから終わりまで、祈りのなかの出来事であって、欲望の渦巻く文化のなかの出来事ではないのだ。
岩田慶治著「木が人になり、人が木になる ーアニミズムと今日ー」より
宮沢賢治と風景が出会うところ、主客未分のいまだ言葉が生まれる前の、意識さえ生まれる以前の、神仏に見られ語りかけられている沈黙の原風景から、詩は紡ぎ出される。草木は鳥となり星となる。レモンは列車となり、魂は白い鳥となる。神仏の声はビッグバンが、宇宙の背景放射として永遠に木霊するように、イーハトーボの時間と空間のうちに刻み込まれ、木霊している。風景と人は此岸にあって彼岸に在る。
蒼く湿った修羅の世界を歯ぎしり行き来していた賢治は、菩薩となって銀河鉄道に乗り弥勒の住まう兜卒天に逝ったのだ。
城のすすきの波の上には
伊太利亜製の空間がある
そこで烏の群が踊る
白雲母のくもの幾きれ
(濠と橄欖天鵞絨 杉)
ぐみの木かそんなにひかつてゆするもの
七つの銀のすすきの穂
(お城の下の桐畑でも ゆれてゐるゆれてゐる 桐が)
赤い蓼の花もうごく
すゞめ すゞめ
ゆつくり杉に飛んで稲にはひる
そこはどての陰で気流もないので
そんなにゆつくり飛べるのだ
(なんだか風と悲しさのために胸がつまる)
ひとの名前をなんべんも
風のなかで繰り返してさしつかへないか
(もうみんな鍬や縄をもち
崖をおりてきていゝころだ)
いまは鳥のないしづかなそらに
またからすが横からはひる
屋根は矩形で傾斜白くひかり
こどもがふたりかけて行く
羽織をかざしてかける日本の子供ら
こんどは茶いろの雀どもの抛物線
金属製の桑のこつちを
もひとりこどもがゆつくり行く
蘆の穂は赤い赤い
(ロシヤだよ チエホフだよ)
はこやなぎ しつかりゆれろゆれろ
(ロシヤだよ ロシヤだよ)
烏がもいちど飛びあがる
稀硫酸の中の亜鉛屑は烏のむれ
お城の上のそらはこんどは支那のそら
烏三疋杉をすべり
四疋になつて旋転する
宮沢賢治「春と修羅」より、 (サイト「青空文庫」より転載)
以下、項を新ためずに「渦巻紋様」について書いておきます。
宮崎駿監督の「千と千尋」をアメリカの人たちは「Sintou」的で「アニミズム」の作品と感じるという、その「アニミズム」を「偶像崇拝」と訳すと意味が違ってくる。偶像は人の手になる神の像のこと。
インド・ヨーロッパ語族、セム語では「精霊」「霊」「霊魂」はヘブライ語、ギリシャ語、ラテン語いずれも、息や呼吸、空気、風など命の息吹(生命原理)を意味する。
神道では霊魂は「もの」を生み出す働き(豊穣原理)から理解される。そこからムスビ(産霊)の読みが出てき、ウブスナ(産土)となる。山川草木、八百万(ヤオヨロズ)に神々が宿る。
ものを生み出す働きの「霊魂」は「言霊」として、事、物を産み出す。万葉集のなかに柿本人麻呂の天皇の御世への祝いの歌、長歌がいくつも載っている。今でも私たちの生活には、目出度い物、語呂合わせの言葉でさえ用いて、言霊の働きを大切にしている。
サイト上に示されたアメリカ人のアニメへの感想は、原初的な「精霊」への信仰と、神宿る物への崇拝という両方の意味が込められていよう。
欧米人に言霊は理解できるだろうか。旧約聖書、創世記の初め。言葉は「神」であり、初めに「言葉」があった。神が「光あれ」と言われると「光があった」とある。
キリスト教で聖霊は父・子・聖霊で3身一体。神の霊(ヘブライ語のルーアッハ、風、息吹く)。キリスト教の土俗的な信仰を除けば「言葉」も「霊」も神と共に在るもの。
日本人とは同じモンゴロイドのアメリカ先住民の物語に、人間と動物が同じ言葉を話して暮らしていた時代があり、そのうち人間の言葉だけが、発した言葉が形になる、物を生み出すようになった。それから人と動物が離れたもの、言葉を異にするようになったというのがある。これは絵本として出版されている。
ギリシャ神話にもキリスト教の信仰にも、大地の豊穣の女神ゴルゴンは形を変え、姿を変えて生きている。「言霊」だって生きていよう。
文様の持つ呪術の働きは原初的な「霊」の働きである。
マオリ族の物語
死者の目の周りの彫りものを魔物(だったか)が、むしって食べ、死者を生の世界を通って死の世界に導く。そのとき眼の周りの彫り物がないと眼の玉を抜かれて
その世界を見ることが出来ない。
アイヌ、マオリ族、ボルネオ、アメリカ先住民いずれの場合も、顔に刺青をする黥面(げいめん)という。身体でも衣服でも穴の開いているところや角から、魔物が進入するので文様を彫ったり編みこんで防ぐ。まだ成人の儀式をうけず、彫りものをせず死んだ者は、墨で文様を書いて送り出す。文様には悪霊から身を守る霊の力が宿っている。
数千年外部からの影響を受けなかったマオリ族の文様は、渦巻きとその連続から派生した三角状(アイヌの文様ならシク=眼)の形態で構成される。
アイヌの衣装
写真上段、左と右の図柄は黒と白(地と図)の反転した方形の模様が、上下(天と地)で棘状の紋様と、渦巻紋様を構成している。
写真下段左、渦巻き紋(モレウ)の中に十字紋(ウタキ)。渦巻紋を4つ連ねるとその間に十字紋(紅い部分)と菱形の眼(シク)が必然的に生み出されるのが分かる。
写真下段右、棘状の文様(アィウシ)。現世と彼岸はアイヌの世界観では、全てが反転した世界であり、衣服の図柄の上下の関係に示されているように感じる。
渦巻きの文様は西暦前3000年頃に世界中でいっせいに現れ、表現されたらしい。エジプトはすでに鉄器が使用されている。エーゲ海の島々では新石器時代から初期青銅器時代に移る頃で、個性的な文化が誕生した時代。この頃シロス島を中心に、フライパン状の土器の背面いっぱいに逆巻く波を渦巻きの文様に刻み、進む櫂舟を描いたものが、30以上発見されている。祭祀に用いたのか、海上交易で使用されたのかは不明。
日本は縄文時代で、日本とは反対側の島国イングランドとアイルランドにも渦巻紋様は花開いた。規模の違いはあるが環状列石(ストーンサークル)も共通している。
縄文時代中期(前3000年から2000年)、関東は1000年早い。
中期には立体的文様の大型土器が作られた。うねり、渦巻き、蛇の頭と眼がある(蛇は男性器)。土器は土、畑であり、円形の穴(女性器)と蛇を合わせて生殖と種まき、出産と豊穣を示す。下方に伸びる2本のひも状の線は靭帯であろう。渦巻紋が蛇で表される例は縄文土器には少なくない。土器の口縁部と隆起したところにはギザギザの紋がある。
親子2代、縄文土器を記号として読み解いた民間考古学者、武居竜生氏のサイト「縄文の記号世界」(←リンク)に学びました。
悪霊の進入から死者を守っている。岩石の石包丁のような形は偶然ではないだろう。北ギリシャ、ディミニ遺跡出土の土器の紋様にあった。
2重螺旋の連続紋になっている。材料は石で、百数十個発見されている。中心に向かう迷宮への異常な執念さえ伝わる。内臓感覚、脳や腸のようでもある。古代には実際の肝臓や腸を使った占いがあり、後には粘土板に刻み込み、ヒビの入り方で占ったのだと言う。迷宮だとすればその辿りつく中心の闇には無論、人身牛頭のミノタウロスが潜んでいる。
渦巻は蛇であり、逆巻く波、草花の姿であり、貝の形状、迷宮、内臓と色々なものに置き換わる。命であり心の奥所である。豊穣多産への祈りであり、魔を払う霊の力でもある。卍となり、沙綾(さや)形紋様となって、目出度きこと、吉祥紋ともなる。
そして核心にたどり着く。漢字の成り立ちにおいて「神」の字は渦巻を現す。
「白川静の字通によれば「神」という字のもとの形「申」は、二つの繋がった蕨(わらび)手状の渦巻きをあらわしているという。
ここで、もう一度アイヌの衣服の紋様に眼をやると、円と四角の渦巻紋が神の象形であることに気付かされる。魔(邪気)を払う霊の働きは神からきた力だったのだ。豊穣原理(言霊)は生命原理に円環として繋がる。
弁証法から円環の法へ
by hikari_1954h
| 2016-03-05 16:35
| アニミズムから見る美術史