2016年 02月 25日
西アジア文明圏エーゲ海文化 |
初期青銅器時代、エーゲ文明キクラデス(キュクラデス)文化は前3000年頃から2000年まで栄え、カタストロフを迎える。代わってクレタ島のミノア文化が栄え、ギリシャ本土のミケーネ(ミュケーネ)文化へと引き継がれていく。
時代を遡って新石器時代、ギリシャ本土と地中海周辺の土器を比べて見ておきたい。
農耕・牧畜に基礎を置く新石器時代の社会は肥沃なギリシアの北方で栄えた。無土器新石器時代を経て、生活に欠かせないものとなった土器は、簡単なギザギザの文様から、紀元前4000年頃になると、より複雑で多色の文様へと進化する。

器型、装飾とも完成度が高く美しい。磨いたような表面。付いている位置は低いが、すでにギリシャ、アンフォラに特徴的な把手(双耳)がある。下部4分の1ほどを素のままに残して、帯状の線が伸びやかに、流れるような色彩紋をなしている。真中に蛇の渦巻き紋が描かれ、世界観が示されている。
帯の間には石刃のかたちの中に、石を打ち割いた時にできる破砕跡がギザギザの幾何学文様として抽象化され描かれている。これは世界中の土器の彩文としてまず現われるが、表象の始原を辿ればアフリカの石刀使用から発生した文様で、蛇の文様と合わさって豊穣と多産の大地の象徴となる。ミノア文化で多彩な文様として展開しミケナイ文化に引き継がれていく。アニミズムの象徴に満ちた世界です。

写真はサイト「忘れへんうちに」(←リンク)さんよりお借りしました。
写真右、地母神の系譜につながる土偶は頭部がないと、両耳壺のように見える。

アナトリア(現トルコ)トロイヤに特徴的な酒盃。キクラデス諸島からも出土している。把手は腰に当てた腕のよう。
ディミニ出土の壷の把手(両耳)は新石器時代に共通する土偶、地母神の腕として、造形感覚としてつながる。紫色の研究の浅利篤の画面の分割に従って、壷を顔と見れば「耳」に、体全体と見れば「腕」と捉えることができる。胎内の生理的な投影と見れば、渦巻紋はシュタイナーの「太陽叢」であろう。
同じ頃(前4000年頃)西アジアの彩文土器と見比べておきましょう。

前5000年代シリア北部、ウバイ期の土器はヘマタイト(粉末はベンガラ)やマンガンを磨石や石製パレットですりつぶした絵の具で、赤と黒が基本。上の写真はおそらくその頃のものと思う。
回転台を用いた手づくねからくる、形態の暖かさが伝わる。器表面の文様も丁寧で密度が濃い。ギリシャ北方ディミネ遺跡出土の素朴、原始的な文様と比べると、はるかに複雑な社会を連想させる連続紋であるが、作品として受ける印象は互いに遜色のない暖かさと強さがある。
後期ウバイ期(4300年頃)になると工房は分業化し大量生産品となり、彩文も減って、顔料を粉にするパレットも出土しなくなってくる。


説明には前4000年、ウバイ、ロクロ使用とある。いかにも既製品という感じ。
新石器時代、ギリシャ北方で小規模の集落で農耕・牧畜の生活が営まれていた頃、西アジアでは土器だけを見ても前7000年から幾多の変遷を経て、すでに都市国家に対応する大量生産品の時代に入っていたわけです。
それではヨーロッパ内陸部ではどんな土器文化かというと、これは西アジアの高度な文明から見ると、とても素朴で、野生的。

エルベ川西岸からドニエプル川中流域まで広がっていた文化。インド・ヨーロッパ語族の中央ヨーロッパ、バルカン半島、ギリシャへの進出と関係がある。原ギリシャ人もこの文化に含まれる(wikipedia)。
アンフォラというとワインを連想するけれど、葡萄の原産地はウクライナで、まだワインは伝播していないので、蜂蜜酒か水瓶かな。

ヨーロッパ北部一帯に広まった考古文化。球状アンフォラ文化の中から発生したと考えられる。ポーランド中南部を起源とする。ロシア、バルト3国、スカンジナビアまで分布する(wik)。 須恵器みたい。

後期新石器時代から初期青銅器時代。ブリテン島からシチリアまで広く散在。ケルト語派社会の発展段階と密接な関係がある。ポルトガル西端部で創られ始めた可能性がある。
(おいおい弥生式土器かよという感じ^^)
ビーカーの存在は蜂蜜酒(ミード)を飲む習慣をうかがわせ、後にケルト語派の諸言語が急速に広まる鉄器時代に南方からワインを飲む習慣が入ってくる。
ビーカー民、ロマのよう技術を持つ放浪の民(wik)
ここらあたりの土器の研究は、遺物がヨーロッパ各地に散在しているし、日本での知名度、人気度、費用対効果の面からも情報が得にくい。各国各地域の教育委員会だか、文化省の仕事でいいのでしょう。
ヨーロッパ内陸の素朴な土器と比べると、4000年前のギリシャ北方ディミニの土器の、器形と彩文の美しさは際立っている。西アジア文化圏との接触を連想しないわけにはいかない。
もっと正確に言えばエーゲ海文明というのはメソポタミア文明とエジプト文明の融合地点で開いた独自の文明で、人と文化の移動、影響関係から言えばギリシャ文化を含めて、西アジア文明圏と呼ぶのがふさわしい。誰も言わないから私が書いておきましょう。
土器の歴史にここまで深入りするとは思ってもいなかったですが、これでミノア文化への橋渡しができました。
by hikari_1954h
| 2016-02-25 10:07
| アニミズムから見る美術史

