2015年 11月 14日
資料、世界最古の神殿遺跡、マルタ文明 |
世界最古の集落跡は旧約聖書に出て来るエリコで(パレスチナ死海の近く)紀元前1万年に遡るようです。9000年頃の遺跡からは祭壇と思われる遺構が見られます。預言者ヨシュアの物語でいっせいにラッパを吹いて城壁を崩落させたという旧約の記述はずっと後の時代です。
では世界最古の神殿跡はどこかというとマルタ島(イタリア南方の島、現在共和国でEUに加盟しています)で、30~40の巨石神殿遺跡があります。Bc4500年から2500年頃。マルタ文明と言います。エジプト、メソポタミア文明が前3000年頃からですから1500年は古い文明です。どのような種族なのかは不明。
岐阜大学の小澤勝彦さんの膨大な質量のサイト「神々の故郷とその神話、伝承を求めて」(←リンク)より
祭壇とおぼしきものに浮き彫りが観察される。紀元前3000年以降のもの |
「豊穣」を現す大地母神と思われる下腹部を強調した像。
タルシエン神殿遺跡
タルシエンタルシエン神殿遺跡の、高度な唐草の文様は驚きです。エジプトのロータス文様の具象性と比べると完全に抽象化されていてアラベスクを構成しそうです。エジプト文明が始まるころにはすでに唐草紋が完成していたわけです。つるの文様ですね。
※唐草;植物の茎やつるなどを文様としたものの総称
ロータス文様
文明のはじめに神殿がある。古代社会に共通の大地母伸への祈り。さまざまな神々の原型は大地母神ということでしょうか。もっとよく調べたいと思います。
神への祈りを辿っていくと、神は死んだとか、無神論というのは近代の病と言えそうです。
動物の浮き彫り
山羊、豚、羊、犠牲獣。屠って神殿に捧げる祭礼があったのかどうか気になるところです。浮き彫りにしていると言うことは実際の動物の身代わりなのかどうか。
インドでは牛は聖獣で殺さない、逆にペルシャやパレスチナ地域では屠って祭壇に捧げていました。インド・イラン語族の宗教的確執ね。
バール信仰との闘いであったユダヤの民は神殿で焼き尽くす生贄として子羊を犠牲として捧げる。それを執り行うのが大司祭。ぱっとメルキジェデクと名前が出てきます。
ミトラ教でもユダヤ教でも祭りによっては大量の家畜を犠牲としています。
フェニキアでは幼児を生きたまま焼いて犠牲の捧げ物としたようですし、中東には子どもを生贄として捧げた祭壇が残っているそうです。
旧約聖書アブラハムが長子を犠牲に捧げようとした物語があります。ホメロスのトロイア遠征で娘を生贄に捧げ帰還後恨みに思った妻に殺されるミケーネ王アガメムノンの物語は有名です。子どもを生贄として捧げる風習は確かにあったのでしょうね。日本で言うと人柱。
人間を生贄として栄える国際金融資本が、フェニキアからベネチア(pとvは語音変化する、フェ→べ)の金融につながることを考えると複雑な気持ち。
フェニキアは彼らが着ていた衣服の色、赤の意味。ベネチアングラスの赤。ベニスはフェニキア人の住む町の意味。シェークスピアの「ベニスの商人」の時代背景です。
ローマ帝国と覇を競う地中海の公益国家で、レバノンを拠点にパレスチナ辺りに住んでいた民族。バール信仰はフェニキア人の宗教。
ユダヤ人とフェニキア人は民族的にも宗教的にもつながりが深くて、ユダヤ教が確立すまではバール信仰を共有していた面がある。 直接のつながりは、ソロモンが異郷の女との婚姻の禁止という禁を破って、何人も妻に迎え入れたことに始る。つまり金と女と権力。大王様がこれでは国も滅びるね。 ソロモンが建てた神殿はフェニキアの地から運ばれた杉(レバノン杉)を使ったことが旧約聖書に書いてある。フェニキア人とユダヤ人との混交が進んだんだな。
なんだっけ、ポエニ戦役で負けて、カルタゴと関係の都市は徹底的に破壊され、突然フェニキア人は歴史から消えたことになっているけれど、消えるはずがない。
共和国であるベネチアを中心に、イタリア各地に移り住む。船も持っているので世界に散らばったのかも。
やはり海上交易で栄えるがユダヤ人差別で商業を禁じられ金貸し、金融で世界を支配するにいたる。スイスを銀行の拠点にしたのも彼ら。
元をただせばそこに追いやったキリスト教 社会の因果応報だけれど、被害は世界中に及んでいるのだから他人事ではないな。
ユダ金の皆様あなた方をそこに追いやった、歴史の罪を重々にお詫びしますので、どうぞ心を開き許して、世界と人びとを苦しめることをおやめください。
イエスも言っているではありませんか『右の頬を打たれたら左の頬を出せ」あっ、ヒフミ神示の教えもありますけれど。ユダヤの方にキリスト教を持ち出してもだめか。
■古代社会形成史 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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年表「神々の故郷とその神話、伝承を求めて」よりお借りしました。
by hikari_1954h
| 2015-11-14 14:33
| アニミズムから見る美術史