2015年 09月 25日
「自閉症児エリーの記録」 |
発達につまずきを持つ子供が「赤い靴はいてた女の子」のフレーズを繰り返し歌っていた。それがどうしても「赤い靴はーいてた墓場の子」と聞こえてしまう。ちょうどバスから見える村の彼岸花に思いをはせていた時でもあったから、何とはなしに頭の中で替え歌にしていた。
♪赤い靴はいてた墓場の子
爺(じーじー)さんに連れられてやってきた
それがどうした?・・・・それだけのことなんですけど。^^
それから似たような状況で、同じような替え歌を作ったことがあったなーと、考えていたら思い出した。
♪むかしむかし浦島は
助けたカバに連れられて
動物園へ来てみたら
絵-にも描けない珍しさ
だから、それがどうしたって?・・・・それだけのことなんですけどー。^^
今日待ち時間があって園の棚にあったクララ・バーグ「自閉症児エリーの記録」を少し読んでみた。視覚についての章を途中まで読んだだけで、この本の価値が分かった。アメリカでの出版が1968年だったかな、日本語訳の初版が1976年、私が大学で障がい児教育を学んだ翌年の出版。どうして読んでなかったのだろう。たぶん当時書店で眼にしていないはずはないのだけれど。
ベッテルハイムの「自閉症」という、学問による暴力がまかりとおっていた時代。一人の母親の我が子への愛情と知力の限りを尽くした、子育てと治療教育の実践報告がなされていたわけです。
訳者がたまたま家庭に食事に招かれ、クララさんと、エリーに出会っていなければ日本での出版はもっと遅れたのでしょう。
エリーは乳児期から3歳、4歳のころ五感で捉えた刺激を、意味あるものとして理解し認識できない子でした。指差しがないので少し離れたところに有る物が、見えているかどうかさえ分からない子です。もちろん親の顔さえ識別できていません。犬にも無反応。ただ車には興味を示す。と言うような発見から見えていることは理解されます。
ある日、興味を持ってくれたらとエリーの部屋の机に置いておいた、星型のパズルにエリーが強い興味を示します。しかも大きさ別、色別に分けます。
クララさんは単純な形や子供の絵のはめ絵を与えます。エリーはすぐに覚えて、興味を失います。そこから発展しないのです。明らかにプログラムが必要だったのだとクララさんは書いています。しかしエリーの教育には長い時間が必要なので、どう展開して言いのか解らず手探りであったことが、かえってよかったのだとも書いています。
はめ絵に興味を失いそうな時、エリーの指を取って実際のものを触るようになでさせることで、エリーは絵と描かれた対象を結び付けます。食べ物の名前は忘れましたが写真を触らせて唇に当てたら、それを食べて初めてその食べ物の名を発する場面があります。ヘレンケラーがサリバン先生との壮絶な格闘の中で、井戸水を手に受けての「ウオーワー(ウオーター)」と言葉を理解し発するような一瞬です。エリーと母親の場合は話しは淡々と進むのですが。
そこからクララさんはより展開可能な方法を自ら掴み取っていきます。写真やすでに書かれた絵を用いるのではなく、母親自身がエリーの目の前で絵を描いてあげます。絵が立ち現われていく過程に眼を凝らし、エリーはより多くのものを学び取っていきます。
ここまでしか読んでいないので、この1年後にエリーが示す大きな成長がどのようなものかは分かりませんが、このあたりの記述だけでも、私たち現場で自閉症スペクトラムの子どもたちと接する者にとって大きな示唆を与えられます。
もう何年もひたすら職員に絵を描いてもらい、塗り絵をする子どもがいます。家では自分で絵が描けるのですが、園では決して描きません。私はずっとそのことに良い思いは持っていなかったのですが、ブログで美術教育について書き進め、絵に見る男女の性差を読み直すことで認識が変わりました。
刺繍やパッチワーク、織物という気の遠くなるような作業を女性がもくもくとやれるのも、ぬり絵が大好きなのも女性特有の配色の喜びがあるからです。塗り絵は、かたちを気にせず配色に専念できるからこそ価値があります。男の子にもぬり得が好きな子がいても少しもおかしくはないのです。
しかも既製品の塗り絵ではなく親しい職員に描いてもらって(内容はいつも同じでも)、描いていく過程に注意を向け話を聞いているのですから、コミュニケーションの場であり、知覚や認識の場でもあります。その男の子が塗り終えた絵はとても優しい色彩です。今は「きれいな色だねー、色がとても優しい」と心から誉めてあげることが出来ます。
ベッテルハイムのような精神科医であろうと、美術教師であろうと、何かの専門家であるなしにかかわらず、人は観念で生きています。「これはこうあるべきだ」「よき教師とは」といった観念です。作家の伊藤整は、たとえば「よき妻とはこうあるべきだ」といった観念に縛られて生きている主人公が、現実の困難に出会い、その観念が崩れたところからの生き方を小説のテーマとして繰り返し書いています。
自閉症から自閉症スペクトラムへと、アスペルガー症候群、高機能障がい、注意欠損多動性障がいとか、障がいの理解や診断名が変わっても、一人一人違う特性の子供たちと向き合う困難さはクララ・バーグの時代も現在も変わることがありません。手探りの中で子どもと親、教師や治療者は互いに近付き、情愛を育んでいきます。
1976年ころ自分は何をしていたか。ローダ・ケロッグの子供の絵の発達についての重要な本も読み落としていたし、「自閉症児エリーの記録」も手にしてない。仕事で専門書は読んでいたわけですが、当時この本を読み込んでいれば教育観も随分違ったものになっていたかもしれません。
by hikari_1954h
| 2015-09-25 23:08
| 自閉症スペクトラム