2015年 07月 08日
絵本との出会いのことなど |
中津市に住んでいる頃「子どもと児童文化ネットワークおおいた」の「つみき」という、手作りの機関紙に書いた文章を転載します。連載するつもりで書き出した文章でしたが、図書館の民営化にからんで、会の中で対立が生じていたようなので書くのを止めました。尻切れトンボのままの文章が残りました。もう時間がたって書き足していく気持ちが起きないのですが、気が向けば何か書くかもしれないので、さしあたってアップしておきます。
絵本との出会いの事など
30年前の話しです。今はない出版社、スバル書房から「月間絵本」という雑誌が出ていました。その新人賞から、長谷川周平、宮本忠夫、川端誠、等、すぐれた絵本作家が世に出ました。
当時はエッチングの天才、東逸子の芸大卒業制作が「詩とメルヘン」で特集されて、世に衝撃を与えるとか、やはり若き天才と称された、スズキ・コージや、「もじゃもじゃペーター」が、日本に舞い降りたかのような画風で異彩を放つ飯野和好、また絵本作家としての天与の才を持つ谷内こうた等々、若い才能が絵本に向かって収斂していくような、非常に熱を帯びた時代でした。
学園闘争が収束した後の、若者の大きなエネルギーが、例えば漫画雑誌「ガロ」の先鋭な表現とも重なりながら、新しい表現の場を切り開いていった、そのような時代であったろうと思います。
特にこれと言った才能のなかった私も、そのようなうねりの中で、創作絵本と出合っていったのでした。
「月間絵本」を読み出して半年くらいして、三つの絵本を描いて新人賞に応募しました。一つが二次予選に残って「よし来年」と思っていたら、まもなく季刊、廃刊になってしまったのです。
雑誌の中心人物だった今江祥智とある対談で、因縁浅からぬ関係にあった偕成社が、後を引き継ぐようにして「月間 絵本とおはなし」を刊行します。(これはやがて出版社を変えて「月間モエ」に姿をかえます)
革新から保守に転じたような編集の違いで、私はすっかり興冷めで、絵本への情熱の持って行き場を失いました。油絵の公募展への出品や個展、グループ展に情熱を傾けていきました。
つづくかも
by hikari_1954h
| 2015-07-08 22:31
| 詩・文学夜話