2014年 03月 16日
「早く家へ帰りたい」が、最後まで読めない |
昨日の記事にリンクした、「山田兼士 『連載』高階杞一を読む」で、「早く家へ帰りたい」を再読しようとしたのですが、つらくて、第二連までしか読めませんでした。
初めて詩集を開いた時には、涙を拭きながら何とか読めたのですが(それでも薄い詩集の半分しか、その日は読めなかった)。
これは日本の詩史に残る、名作だと思います。いつか自分で読み返すためにも「高階杞一を読む」から、コピペしておきます。
引用開始
亡き子をしのぶ最初の作品から二ヶ月後、高階は全四章一〇六行から成る詩「早く家へ帰りたい」を書く。この詩は、愛児追悼作品として中原中也「春日狂想」に比肩する名作である。高階作品になじみの薄い読者にも読んでもらいたいので、全文を引きながら鑑賞していきたい。まず、その冒頭――
1
旅から帰ってきたら
こどもが死んでいた
パパー と迎えてくれるはずのこどもに代わって
たくさんの知った顔や知らない顔が
ぼくを
迎えてくれた
ゆうちゃんが死んだ
と妻が言う
ぼくは靴をぬぎ
荷物を置いて
隣の部屋のふすまをあけて
小さなフトンに横たわったこどもを見
何を言ってるんだろう
と思う
ちゃんとここに寝ているじゃないかと思う
詩集刊行時、「旅から帰ってきたら/こどもが死んでいた」などと突き放したような書き出しに驚いた記憶があるが(当時私自身が子育て真っ最中だった)、重大かつ悲惨な事実を事実としてすぐには認識できない心情を、この上なく正確に写し出した表現であることに気づくのに、それほど時間は要しなかった。悲劇を目前にして、人がまず最初に覚えるのは違和感なのだ。そして――
枕元に坐り
顔をみる
頬がほんのりと赤い
触れるとやわらかい
少し汗をかいている
指でその汗をぬぐってやる
ぼくの額からも汗がぽたぽた落ちてくる
駅からここまで自転車で坂道を上がってきたから
ぬぐってもぬぐっても落ちる
こどもの汗よりも
ぼくは自分の汗の方が気になった
立ち上がり
黙って風呂場に向かう
シャワーで水を全身に浴びる
シャツもパンツも替えてやっとすっきりとする
出たら
きっと悪い夢も終わってる
死んだはずがない
いつもと変わらない行動によって「悪い夢」から覚めようとするのだが、ここには一種の詩的虚構がふくまれているのではないか。実際にはその場で泣き崩れたのかもしれないし、ただ狼狽してうろうろしていたのかもしれない。だが、詩人の筆はそんな気配を微塵も感じさせずに、淡々と進むことで次の展開を用意している。
2
こどもの枕元にはロウソクが灯され
花が飾られている
好きだったおもちゃや人形も置かれている
それを見て
買ってきたおみやげのことを思い出す
小さなプラスチック製のヘリコプター
袋から出して
こどもの顔の横に置く
(すごいやろ うごくんやでこれ)
ゼンマイを巻くと
プロペラを回しながらくるくると走る
くるくるとおかしげに走る
くるくるとおかしげに走る
その滑稽な動きを見ていたら
急に涙がこみあげてきた
涙と汗がいっしょになって
膝の上に
ぽたぽた落ちてきた
この急展開は衝撃的だ。「くるくると…」を三度繰り返すことで平常心が一挙に崩れる一瞬を描いているのだが、この繰り返しによる一瞬の展開が高階マジックの一つであることはすでに前回まで見た通りだ。こどもの死を事実として受け止めた詩人は次に――
3
こどもの体は氷で冷やされ
冷たく棒のようになっていた
その手や足や
胸やおなかを
こっそりフトンの中でさする
何度も何度もさする
ぼくがそうすれば
息を吹き返すかもしれないと
ぱっちりと目をあけ
もう一度
パパー と
言ってくれるかもしれない、と
九月初旬、残暑の厳しい季節なので遺体の腐敗を防ぐために「氷で冷や」す、というのはリアリズムそのものだ。だが、遺体を手でさすって生き返らせようとする親の未練は切実なセンチメンタリズムと呼ぶべきだろう。あわせて、ここにはこの上なく直截な魂のリアリズムが描かれている。
ところで、本作の初出(「ガーネット」十四号、一九九四年十二月)では、引用最終行「かもしれない、と」のところに読点は付いていなかった。初出と詩集掲載形の間には、漢字表記をひらがなに変えたり助詞を少し変えたりといった変更は多少あるものの、全体としてそれほど大きな違いはない。そんな中にあって、この読点は非常に気になるところだ。読点による一瞬の間(ま)が、死んだこどもへの未練を断ち切っているように読まれるからである。初出時から詩集刊行時までの一年ほどのあいだに、死者への哀悼がそれだけ深まった、ということだろう。未練から哀悼への転換を示す読点なのだ。
4
みんな帰った
やっとひとりになれて
自分の部屋に入っていくと
床にCDのケースが落ちていた
中身がない
デッキをあけると
出かける前とは違うCDが入っていた
出かける前にぼくの入れていたのは大滝詠一の「ビー チ・タイム・ロング」
出てきたのは通信販売で買った「オールディーズ・ベス
ト・セレクション」の�
デッキのボタンを押すたびに受け皿の飛び出してくるの
がおかしくて
こどもはよくいじって遊んでいたが
CDの盤を入れ替えていたのはこれが初めてだった
まだ字も読めなかったし
偶然手に取ったのを入れただけだったのだろうが
ぼくにはそれが
ぼくへの最後のメッセージのように思われて
(あの子は何を聴こうとしてたんだろう)
こどもが死ぬ前にいじっていた(らしい)CDデッキのエピソードは、死の当日かどうかはともかく、おそらく事実に基づいたものだろう。いくつかの事実の断片を集めて詩人は一つのモチーフに結晶させた。そして次――
一曲目に目をやると
サイモン&ガーファンクル「早く家へ帰りたい」
となっていた
スイッチを入れる
と 静かに曲が流れ出す
サイモンの切々とした声が
「早く家へ帰りたい」とくり返す
それを聴きながら
ぼくは
それがこどもにとってのことなのか
ぼくにとってのことなのか
考える
死の淵からこの家へ早く帰りたいという意味なのか
天国の安らげる場所へ早く帰りたいという意味なのか
それともぼくに
早く帰ってきてという意味だったのか
分からないままに
日々は
いつもと同じように過ぎていく
S&Gの「早く家へ帰りたい」。いかにもよくできた偶然のようにも見えるが、このあたりになると、詩がどの程度事実に基づいているのかなどという疑問はどうでもよくなってしまう。詩人にとって、亡き子が最後に残したメッセージは「早く家に帰りたい」でなければならなかったのだ。なぜなら、このメッセージこそが、いくつもの答えを導くことで詩の多義性と多様性を醸し出す、魔法の呪文=詩集の主旋律であるからだ。言い換えるなら、このフレーズの発見が詩集の輪郭を決定づけた。
詩人は答えが見つからないままに、いや、幾通りもの答えを発見しながら「日々は/いつもと同じように過ぎていく」と、平常心を取り戻しつつある自己を凝視する。そして最後――
ぼくは
早く家へ帰りたい
時間の川をさかのぼって
あの日よりもっと前までさかのぼって
もう一度
扉をあけるところから
やりなおしたい
この「家」はもはや現実に存在する家ではなく、過去の時間の中にしかあり得ない失われた家である。では、「あの日」より過去にしかない家の「扉」とは何か。時間の扉? それとも心の? 単純なようで実はそうとうに複雑な構造が、ここには潜んでいる。その複雑さこそが、この作品が読者に繰り返しせまってくる〈詩の問いかけ〉の正体だ。答えは読者が繰り返しそれぞれに発すればいい。その問いの深さ切なさこそが〈詩〉なのだ、と。
「早く家へ帰りたい」を掲載した「ガーネット」誌第十四号(前出)には、高階杞一による連載「詩誌・詩集から」の第十二回が掲載されていて、その題名は「失っていく練習――〈悲しみ〉をめぐって」。小長谷清実や阿部恭久らの作品を引用しながら〈悲しみ〉の諸相を考察し、最後は韓国の詩人オ・セヨンの詩の一節を引用し、次のようにしめくくっている。
私たちは
一つの美しいわかれを持つために
今日も
失っていく練習をしている
(「十月」部分、なべくらますみ訳)
ぼくも失っていく練習をしなければ――。
引用終わり
by hikari_1954h
| 2014-03-16 19:34
| 詩・文学夜話(一部公開)