2014年 01月 12日
短歌の定型化 |
「ケルトの詩」についての文の中で、漢詩が長歌に定型を促して和歌が成立したと書いた。
ここらあたりの学問的な研究史は、よく知らない。5行歌の創始者、草壁焔太氏がそこらの証明をした本を書かれたと、目にしたことがある。
従来の国文学の研究では、日本語が内に持つ可能性の開花、内在するものの自律的、自発的な発露としての定型への動きに研究の主眼があったのではないかと思う。
古代の日本人は五七五の律の内に言霊を込めたと誰かが書いていた。内からの自然な定型への動きと、外からの定型への刺激、促し。歌の読み手である主体、人を介して言霊が働くのか、人が言霊を用いるのか、そのあたりが漠とした古代。定型、和歌成立への動きは内と外のダイナミックな動きとして、巨視的に捉えなくてはならないように思う。
岩波の「日本文学研究叢書」だったかの第一巻、内からの定型への動きについて書かれた所から、核心の部分だけをメモした。
○日本語は単語をほぼ三音節以下とし、高低アクセントを持つ。しかも接辞のつく癒着語としての性格から文節は複数の音節を持つのが一般である。高低アクセントの性格から、日本語は2音節分を一拍として律をなす傾向がある。
通常の文(非律文)としての
「我子者不死有理祁理。我君者不死坐祁理」
(あがこはしなずてありけり。あがきみはしなずていま しけり)
にも二音節一拍の律は自然として具わっている。文節間、文末の休止(あが きみ は×、いま しけ り×)
<五休五休>という律の整いは和歌への動きとも位置づけられる。しかも二音節1拍が休止を含んで律をなすというこの現象が、五七という奇数句に結果しやすいことをも示している。 引用終わり
こういう論証に反論の余地はない。すると同じ手法を用いて、漢詩の定型への動き、ケルトのデビダの定型についても推論できるのかもしれない。
東九州短期大学 幼児教育学科 文学講義録より
by hikari_1954h
| 2014-01-12 20:32
| 詩・文学夜話(一部公開)